久々に紹介するのは「魔女」とも呼ばれるかなりの怪人作家、シャーリィ・ジャクスンの「ずっとお城で暮らしてる」です。
主人公はメリキャットという少女。コンスタンスという姉、少々認知症ぎみのジュリアンおじさんと一緒に暮らしています。他の家族は、晩餐のときにブラックベリーにかけられた砒素が原因で死んでしまい、そのために村人たちに疎まれておりちょうどその時料理をしていたコンスタンスにいたっては外に出ることすら出来ません。そんな彼女達のもとに、従兄弟となのる男が訪れてきて、少々ネジがはずれながらも平和な生活はかきみだされていくことになる…というのがあらすじ。
なんといってもこの作品の凄いところは感情移入できるキャラが一人も登場しないことです。これはけなしている訳でもなんでもなく、この作品の途方もない魅力だと思います。よく感情移入できるキャラが大事などといいますが、ホラーという分野においてこれは必ずしも当てはまらないと思います。人々が恐怖を感じるものっていうのは逸脱であり、個人にその判断の差があるために逸脱を描くことはとっても難しいことでもあるのですが、とにかく「何かが違う」「何かがおかしい」という感覚の薄気味悪さ、不愉快さはかなりのものです。
大体において、この逸脱した理解できないキャラクターは感情移入できるキャラクターと一緒に投入されるのが常ですが、この作品にはそんな気の利いたキャラなんて一人もいません。ありていにいうと皆キ○ガイばっか。キ○ガイ博覧会です。
例えば一緒に住んでいるおじさんですが、家族が死んでしまった事件のことをとてもはっきり覚えており、あろうことかこれを生涯かけて小説にしようなんて考えてます。常にそのことしか考えていない。しかもボケかけているのがこれまた怖い。「砒素のことをどう思うかね」とかいう人と普通の神経をもってる人なら朝飯食いたくないですよ。
主人公のメリキャットにしても大概で、外界から入ってくるものに対する憎しみの向け方たるやハンパじゃありません。呪いめいた行動にでることもあり、本当に恐ろしい子供です。よくホラーででてくる大人びてるくせに妙に無邪気で恐ろしいガキがいますが、あんな感じです。子供嫌いに拍車がかかる恐ろしさです。
ですが、この狂気は屋敷におしこめられ、内包されているものであって、表向きは非常に穏やかで、美しい品位のようなものを感じさせます。キ○ガイ博覧会とかいっといてなんですが、この三人の生活を眺めるとき、外界の残酷さから逃れたこの小さな世界は、歯車が狂っていながらもとても平和で美しいものであると感じます。そしてふと気づくんです。私はメリキャットやコンスタンスやジュリアンおじさんに嫌悪を覚える資格があるのか?と。私は彼らを忌み嫌っている無知で品のない村人たちと同様なのではないか?そして私がメリキャットやコンスタンスのようにならないという証拠はどこにあるんだ?と。
メリキャットの狂気は一つの勇気ではないのか。外界の穢れたものを見下ろす、神聖な高潔さの表れとして狂気があるのではないのか。彼女達の狂気に不快感を感じている自分こそがまさしく彼女達を狂気におとしいれたあの村人たちと、同等の低俗さをもっているのではないのか。
この小説の不思議さ、奇妙さをよりいっそうかきたてているのが、その読後感です。あたかも狂気も残酷さも失われたかのような、優しい読後感。それと同時に読み終わった人の心に、「ああ、メリキャットとコンスタンスはまだ生きている」という、不気味で恐ろしい実感をも感じさせます。
とにかく言いようのない、ホラーの怪作中の怪作。死んでもよむべきです。戦慄します。ブラックベリーに砒素をまぜちゃだめ!絶対!
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