「パリのダダ」ミシェル・サヌイエ

ダダイスムはいわばシュルレアリスムの前形態ともいえるもので、革命的な方向性がより強く、基本的な概念は「芸術の破壊」です。
この革命的かつ非常にカッコイイ芸術運動の始まりは意外なことにチューリッヒ。トリスタン・ツァラという小柄な男が、芸術界を揺るがす大きな運動を巻き起こしたのでありました。

本書はダダイスムをパリを中心として捉えた、ダダ・シュルレアリスム研究の古典ともいえる必読書です。
綿密な調査に基づいており、「ダダイスムとはどのように起こったのか」を知る上ではぜひとも読んでおきたい本です。それに批評めいたことはあまりかいていないのでとにかく読みやすい。凄い厚さですがさくっと読んでしまえます。

これを読んでとにかく惚れるのが、トリスタン・ツァラでしょう。後にシュルレアリスムを担うことになるブルトンらは、遠くチューリッヒで起こったダダイスム運動に心躍らせ、ツァラという男をパリに招き、その訪れを心待ちにしていました。
しかしやってきた男はぶかぶかの外套をまとい、七三の髪を額にたらした片メガネの「日本人のような」男。しかもフランス語が致命的にヘタクソで、「ダダという2音節の言葉すらパチパチはねて聞こえ」るというありさまだったので、ブルトンたちは非常にガッカリしたのだとか。しかも笑うと顔面崩壊してキモかったらしい。(でも写真見るとかなりの男前なんですよねえ。ブルトンたちはどんなの想像してたんだろう?ダンディ?)

しかしツァラの行動力、その言葉の持つ攻撃性と、人を煙に巻くユーモアは、パリの芸術界を巻き込んでいきます。今から見ると少々イロモノめいてみえる劇等も非常に効果的で、皆を驚かせ、嫌悪させるのに十分でした。
「ダダは何も意味しない」といいはなつ彼は飄々とした詐欺師そのもので、彼の作り出したダダという言葉は彼の手の中で明滅しながら、様々な人々をひきつけていきました。

んがしかし。ダダイスムはただ彼だけの功績ではありません。どんな運動でも広まらなくては意味がなく、広めるためにはただ適当に劇場のっとりテロをやるだけではなりたたない。ツァラの大きな助けになったのがフランシス・ピカビアです。
大柄で、車の大好きな典型的な金持ちといった風情の彼は、画家でもありましたが金を集める能力にも長けていて、彼が作った雑誌、彼の打った宣伝がかなりダダイスムという活動の支えになったのも確かです。
彼は自分の本音をうまく包んでおくことができる男で、ツァラをそれを品がないほどにむき出しにする男。この二人のバランスが非常にうまくいっていたのだと思います。

後にダダは「死に」ますが、ツァラはむしろダダイスムそのものが死ぬことを予期していたし、死ぬことに意味があるとみなしていたようです。つまりツァラにとってダダイスムは芸術という伝統を破壊していく革命であり、その後に何かをうちたてようとするものではなかったのではないかと。
それに対してブルトンはあらゆるものを壊すというやり方はこのまない人であったのだと思います。この違いが、二人の決裂の原因にもなったと思うのですが、この本は大体ダダイスムの死までで終わっています。

マン・レイの伝記本に私の好きなツァラの写真が載っています。
ちょっとよそゆきっぽいかっこつけた写真で、あの細い鋭い目でこっちを眺めながら微笑んでいる、皮肉っぽいいつもの顔です。これには若きブルトンの写真ものっています。アラゴンと並ぶ若き日のブルトンの横顔。後に畏怖を抱かせるほどの威厳をもつことになる、あの品のある横顔です。
二人の写真を見ながら、二人の違いに心を馳せると、当時のパリを包んでいた芸術革命の熱気が伝わってくるようにも思えるのでした。

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