結構前に読んだのにレビューしてなかった一品を。
「たったひとつの冴えたやりかた」といえば、あああれね、と思い出す人も多いんではないでしょうか。女性作家なのですが覆面作家で、かのスタージョンは「今の男の作家はダメだよ、今のやつでいいのはJ・ティプトリーJrだけだね、」とうっかり失言をしてしまったこともありました。
この作品集に入っている話は皆、メキシコのキンタナ・ローという場所が舞台になっています。しかし「メキシコの」というのは心理的には正しくなく、このユカタン半島のマヤ族が持っているアイデンティティは独立していて、「ユカタン的」ともいえるものである、と、オープニングの「マヤ族に関するノート」ではかかれます。
こんな文化人類学的オープニングで始まるこの小説は、主人公のアメリカ人がそのユカタン半島に暮らしつつ、現地の人々から聞いた話という形をとっています。
小説一編一編は間違いなく幻想小説。浜辺に流れ着いた、男とも女ともつかない謎の生き物、水上スキーの時に見えた幻、そしてデッドリーフの不気味な怪物…。
しかしそこには同時に、文化人類学的、もしくは国際社会学的観点も存在しているように思えます。冒頭でいったように、マヤ族という特殊な民族とその土地を選んだこと、またキンタナ・ローという場所が現代はリゾート地として栄えていることが、意味を持っています。
リゾート化は確かに富をもたらすこともあるでしょう。しかし市街地やホテル、クルーズ船によって垂れ流された汚水や化学薬品のおかげで海は汚れ、見る影もなくなっている。そのために汚れてゴミが浮き、珊瑚も育たなくなった海を舞台にした作品が「デッド・リーフの彼方」です。(この話、すげえ怖い。途中で主人公が一緒にきた仲間を見失って、海の真ん中で取り残されるところがあるんだけど、そこが本当に恐ろしいです)
そうして観光化された中で、マヤ族の生活、マヤ族の土地という意識はすっかり忘れ去られている。そのマヤ族という存在が、作品自体の持つはかなさをよりかきたて、マイノリティ無視への警鐘をかきたてます。
こういう社会学的な背景をとりこむことに納得いかない人もいるでしょう。実際、幻想小説として優れている作品群だけに、こうした背景をもっていることに意味があるのかは疑問です。
ですが読み終わった後に、今こうしている間にも消えようとしている文明や土地があるんだというショッキングな自覚をもつ瞬間というのが、確かにあり、それは非常に珍しい読書体験だと思います
こうしていうとなんだか説教臭い小説のようですが、全然そんなことはなく、幻想文学としてもかなり楽しんで読めることは確かです。ただ読み終わったあとに私はマヤ族、キンタナ・ローというものの直面している危機のほうが、より強く印象に残ったんですよ。世界幻想文学大賞を受賞した作品でもあり、ハヤカワのプラチナ・ファンタジーシリーズで、文庫で薄いので500円ちょいで読めるという手軽さもいいです。是非おすすめします。
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