宇宙飛行士ピルクス物語(上・下)/ スタニスワフ・レム

連中は存在しないのだろうか?だったらあのときかれに呼びかけたのはいったいだれだ?だれが助けを必死で求めていたのだ?専門家たちが、その絶叫の裏には、電荷の循環と、電極板の共鳴が引き起こす振動振動以外のなにものもないというのだとしたら、それでなにか事態が変わるだろうか?
……かれは、機械に罪はないと思った。人間は機械に思考能力を与え、まさにそのことによりかれらを自分たちの狂人じみた所業の共犯者に仕立ててしまったのだ。ゴーレムや、人間に刃向かって反乱や暴動を起した機械たちの伝説が、本来ならばそのいっさいの責任を負うべき者が、それを回避するためにでっち上げた嘘である事に思いを馳せた…
(p221-222)


久しぶりです。
今回は文庫化するのをずっと待っていた作品。(といっても文庫化したのもかなり前なんですが)私はハードカバーを図書館で読み、SFにハマるきっかけになりました。「ソラリス」と並んで、大好きな作品です。

この作品はピルクスという宇宙飛行士が活躍する短編の連作になっています。
彼が初めて宇宙をとぶことになる、ペーペーの学生時代からはじまり、「自動装置の敵」と陰口を叩かれるような百戦練磨の宇宙飛行士になるまで、非常に多種多様な面白い作品になっています。

この話の特徴は、なんといっても主人公、ピルクスにあります。
かれは顔は丸顔、ぽちゃぽちゃしてとてもかっこいいとはいえない、しかも学校の成績もよろしくはない。しかし、特殊な状況におかれた時の本能的な判断の早さ・正確さ、土壇場での度胸は段違いであり、まさに天性の宇宙飛行士といった趣があります。
しかも彼はとても人間的で正直でもあって、ロボットのみせる人間的な部分に共感したり、逆に人間そっくりにつくられたオートマトンに対しては嫌悪感と反感を隠さなかったり。ただとても理性的で知的な人間でもあり、正義という感情に流されることはない。主人公は色んなタイプがいますが、ここまで魅力的でしかもあまり腹がたたない主人公って珍しいんじゃないんでしょうか。

個人的にこの物語に惹かれた理由の一つは、多種多様な短編で構成されていながら、その底辺は一貫しており、その部分がとても共感できるからです。それはおそらくレムが他の作品でも描こうとしている、「人間とテクノロジーの関係」というものです。
例えばアシモフであれば、ロボット3原則を底辺にして、非常にすぐれたロボットを描きだすわけですが、レムにとってロボットはどこまでも「機械」にすぎません。しかし、その機械を「人間的」と感じさせる要素はあって、でもそれはあくまで人間というフィルターを通して作られたことによって生じる人間性であり、間違っても自我や人間のコピーではありえない。

たとえば「テルミヌス」という作品。おんぼろ宇宙船で貨物を運ぶ任務についたピルクスは、その内部でこれまた年季のはいった壊れかけのロボットに会います。実はこのロボットは昔事故にあったこの宇宙船の唯一の生き残りであり、その事故を記憶が残っており、ある「動作」をします(この作品はとても面白くて、恐怖心も感じる話なのでちょっとネタバレ隠し)。
それは一見人間的にもみえるのですが、ピルクスはやはり「あいつはただの鉄の塊だ」と結論するのです。この行動はロボット本人の判断ではなく、そのロボットに偶然記憶された人間のなにかだ、と。
他にも、人間が過去に起こった事故を意識するが故にカン違いをする「条件反射」、パトロール中に宇宙船が失踪する事件をピルクスが解明する「パトロール」、宇宙船が墜落する原因となった自動装置の謎を探る「運命の女神」など、多くの作品が、人間が自分たちのつくりだした機械というものを、その人間の精神のいうフィルターを通して見るが故におこる出来事を描いたものが多い。

ちまちまこのブログでもいってますが、私はSFのSよりFの部分の方が好きです。じゃなんであえてSFというジャンルを読むのかというと、SFのもつ手法というかギミックが、「人間」というものを中心にした物語を非常に面白く表現してくれるからです。そういう意味ではこのピルクス物語は私のなかでSFのパーフェクトに近いのです。
擬人化されたロボットや、友好的な宇宙人といった話も嫌いではないのですが、読みながらそれを腹のそこから信じていたり、リアリティを感じたりはしない。でもレムという作家の書く宇宙や機械といったものの表現は、なにか私にそれを感じさせるのです。
それは「未来にこうなって欲しい」とか、「こうなるだろう」ではなく、「今まさにこうであるし、未来も永劫変わらない」という感覚で、それを科学的知識に裏打ちされた非常に濃密な描写で描かれると、なんというか、フィクションなのに妙な現実感があるんです。

濃密な描写とかきましたが、この人の作品は風景描写なんかもすごいです。火星や月の描写なんか、その惑星に対するピルクスの思いもふくめて、まるで見てきたようで、何者なんだろうと思ってしまいます。
それが現実であるかどうか、っていうのはどうでもいいんですよ。「見てきたようなウソをつき」というのが、とっても上手い。
例えば娯楽SFなんか読んでいると、目はどんどん進むんだけど読み終わったあとにある一場面がしっかり残ってるってことがなかったりするんですが、この作品は読みながら少々冗長に感じても、読み終わった後にピルクスの心情や風景がふっと頭に浮かぶことがあるんです。映画でもそうですが、退屈だったと思っても見終わったらある絵が頭の中にのこっている、そういう作品ってありますよね。私にとってレムはそうなのです。(や、この作品は娯楽としても面白いのですが)

上ではあんなことかきましたが、ロボットが擬人化に近い形になっているという話もあるにはあります。ただ、それが本当にロボットが人間に近づいているのかっていうのはちょっとわからない。ピルクスの個人的な思い入れがそうみせているようにも思う。
「ソラリス」もそうなんですけど、謎が最後まで「これだ」という答えなしで終わるってパターン、レムは好きですよねえ。

「ソラリス」などの長編作品に比べて、娯楽性もとてもたかく、例えば人間と人間そっくりのロボットとが交じり合ったメンバーで航宙する「審判」などは、ミステリとしても傑作だと思います。
個人的には「読むべきSF」のリストに絶対加えてもいい、それぐらいの名作だと思っているのですが、ソラリスに比べると知名度が低いのがとても残念です。文庫化にここまで時間がかかったというのも信じられない。是非一読を。ちなみに上下巻です。これにハマったら「太平ヨンの航星日記」もおすすめします。