スティーヴン・J・グールド『ワンダフル・ライフ』

さて、今回は私には珍しく科学書でございます。今更コレかよ、ってぐらい、一般人によく知られてる科学書だとも思うんですが。すいません。

グールドという人は、一般向けの科学書やエッセイを沢山書いていて、それが読みやすく理解しやすいだけではなく、人文と重ねあわせ、人間の歴史まで述べてしまうところが非常に面白い人だと思います。エッセイを読んでいると、間から知的さがじんわりにじみ出てきていて、いやあもう、私大好きでございます。

アメリカでベストセラーになった本です。アメリカ人のいいところって、ちょっと一般向けに向けられたりした本とかだと古生物学だろうが物理だろうが、なんでも「読んでみよう」て思う、あのパイオニアスピリットですよね。日本人だとどんなに読みやすくても敷居が高いと思う人が多そう。面白いのになあ、この手の。

この本の主題は『バージェス頁岩』。バージェスからみつかったカンブリア紀の化石郡です。ナラオイア、オパビニア、アノマロカリス、ハルキゲニア。とりあえず知らない人はこの当たり、検索掛けてみてください。こんな生き物が存在したのか、と驚きと共に好奇心を刺激されるはず。

まずバージェス頁岩とはなにか、ということから始まり、ウォルコットという人が適当に分けた分類を見直す計画にのりだしたハリー・ウィッテントンらの発見がメインにすえられています。
この発見から、カンブリアというのは特殊な時代であること、またそれだけではなく、人の(少なくとも一般人の)進化に関する偏見も打ち壊すものであることが明らかになります。

何故カンブリアが特殊な時代なのか。
大体の人は進化の樹を思い浮かべるときに、ある偏見に基づいて思い出すはずです。つまり、下が狭くて上が広くなっている、あの形。少ない数から始まり、その『原始的な』生物から、『多彩な』今の生物が生まれてきた、という考え方です。

カンブリア紀はこれに疑問を投げかけます。何故ならバージェス頁岩から見つかった化石の種類は現代の生き物より多彩であるからです。

何が多彩かって、驚いたことに今までわけられたどんな門にも入らない生き物が存在するのです。これは大変なことです。だってカンブリア紀の生き物が出てくるまでは、新しい門を作る必要がないくらい、生き物は理路整然とわけることができたんですから。

またこの偏見から、グールドはさらに面白い見地でものを見ています。それは『原始的』という考え方、それに伴った『弱いもの』という考え方です。
カンブリア紀の特殊である原因の一つは、それがばっと爆発したように多彩な生き物を生んだあと、滅びるときもあっというまに滅びてしまい、繁栄する期間が明らかに少なかったことです。
この説明としていわれているのが、『自然淘汰』、ダーウィンのアレです。自然淘汰というのは自然が生き物を操作する、というものです。つまり、キリンの首が長くなったのはたまたま首が長くなる遺伝子を持ったキリンがその有利さ(遠くの敵を見れるとか、葉を多く食べれるとか)によって生き残り、種として確定した。
(ちなみに、じゃあ何故進化がどんどん進んでチーターがマッハ3で走らないのかというと、チーターにはほかにも進化させるべきところがあって、例えば子供に与える乳の栄養価だとか、牙のサイズや鋭利さだとか、そういった面も共に進化させているので、そうした極端な進化ばかりが起こらないんだそうです。この極端な進化が起こった例が、クジャクなのではないかと聞いた事があるような無い様な・・・)

これが自然淘汰の考え方なのですが、これでバージェス頁岩を考えると、つまりなんらかの原因によって大量発生した生き物達は、『原始的』かつ『適応力が無かったため』後世まで殆ど生き残れなかったのだ、ということになります。しかしグールドによると、この極端な自然淘汰には人間中心的な考え方があるのではないか。つまり、人間はそうした自然淘汰の結果生き残り、進化の先端にいることができる『特別な』生き物である、という考え方ですね。

グールドのエッセイを読んでいるとしばしば一見冷静である科学者が、人間を『動物』として正当に見ることが出来ず過ちを(少なくとも今から見れば)犯している、という話が出てきます。そのたびにグールドはそれは正しくないと解き、謙虚かつ科学的なものの見方をすることを勧めているように思えます。

バージェス頁岩でも同じで、実際観察してみると、彼らが滅びた必然なんて何一つない。例えばカンブリア紀から残った数少ない種類であるアユシェアイア(現在のカギムシ類)は、当時は決して優れたところが特別にあったわけではない。
この極端な自然淘汰の考え方の欠点は、どうしてもあと出しになるからだというんですね。例えばサーベルタイガーは牙が長すぎて滅びた、といわれていますけど、もしヤツらが長く生き残っていたとすれば、私達は「あああの立派な牙のおかげでここまで繁栄したんだ」と判断するでしょう。
ダーウィン本人もいっているらしいのですが、自然淘汰はあくまで考え方であって、確固たる確信しとして使うものじゃないようなのです。グールドはこれを踏まえ、2,3の仮説を組み合わせた、バージェス頁岩の絶滅について説明しています。

考えてみればダーウィンの進化論が受け入れられるまで、神様が世界を作ったのだと思ってる人が一杯いたわけですよね。今になってみれば笑えてしまいもしますが、でも今でさえ私達は自分が特別でありたい、『少し違う生き物』でありたいと常に思ってるんじゃないでしょうか?

グールドのエッセイにのっていた話だと思いますが、ダーウィンがで、『色んな人々が世界はこんなに秩序だっていて美しいのだから、誰かによって想像されたにちがいないと思っていますが、私は全くそうは思いません。神様が寄生バチのような残酷な生き物を作るとは思えないからです』と、いかにもダーウィンらしい率直さでいっていたのを読みました。
確かに世界は秩序だっているように見えるかもしれないけど、それは結果としてそうなっただけで、実際細かいところに目を向けると混沌としてるものなんだよなあ。

長々かきましたが、一般の人でも読みやすいように細かい用語解説がつき、なんといっても豊かな図版で示されているのでパラパラめくってるだけでも結構楽しいです。
グールドの代表作。これに嵌ったらドーキンスの『盲目の時計職人』もお勧めです。

あ、ちなみにちょっと前の本なので、少し発見が進んだ部分もあります。ハルキゲニアがそれで、実際は上下逆であったことがあきらかになりました。どっちにしても奇妙キテレツにはちがいないですけど…

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