『火を喰う者たち』デヴィッド・アーモンド

アーモンドは不思議な作家で、そんなにアメリカでミリオンとばしてるわけでもないのに作品を出すたびに邦訳がでます。宮崎はやお氏が『肩甲骨は翼のなごり』を推薦したのもあったのかもしれませんが、多分日本で人気があるんでしょうね。最近も、クレイ、だったかな、そんなタイトルのが新しくでてました。喉から手がでるほど欲しかったけど久生十蘭をかってしまったよ私は。

ジャンル的にはヤングアダルトノベルってやつで、10代の人が読むものらしいです。だから児童文学の賞とかももらってる。でもファンタジーといってもハリポタのような剣と魔法の世界ではなく、どちらかというと普段の生活にふっと入り込んでくる異質なものの物語が多いかな。


でこの火を喰う者たち。

主人公ボビーの住んでいる場所は寂れた海岸沿いの炭鉱の町。彼はある日芸人のマクナルティーの技を目にします。鋭い串を片頬から片頬へと突き通す技、鎖ぬけの技、そして火を吐き出しては吸い込む火喰いの技。マクナルティーはボビーの父のかつての戦友でしたが、戦争のせいですっかり頭がおかしくなってしまっている。しかしマクナルティーはボビーには優しい態度をみせます。

ボビーは様々な悩みを抱えています。父が時々なかなか止まらないせきをすること、キューバのミサイル、中学校の酷い教師。そうして悩みをかかえて苦しむとき、彼はマクナルティーを思い出します。彼の技を思い出し、自分自身に針を突き立てて、「もし父を召すなら僕を」と祈ります。

祈りということが、大事な位置をしめています。
田舎町の片隅で、少年が出来ることといったら祈ることだけ。そんな時に現れたマルナルティーは力強く、悲しくてミステリアスで、まるで世界中の罪を飲み込んでしまうかのように、火を吐き出し、吸い込む。この旅芸人が現れたことでボビーの心の中も、また外で起こる出来事もどんどん変化していきます。
祈るってことはガキのころに私もしょっちゅうやったことで、なんら宗教意識もなかったにも関わらず、自分自身が身代わりになって家族や友人、世界を救えるのだと思ってました。実際にそれで世界が救われたことなど絶対なかったのだと思いますが、この小説の中での祈りは、確かに何か巨大な力を持っているように思われます。とくにマクナルティーの、おそらく彼自身意識してもいない偉大な祈りは。

読んで思ったのは、ソーニャ・ハートネットの小鳥達が見たものと、通じるものがあったということです。ただこちらがハッピーエンドに終わったのは、おそらくボビーの周りの友人や家族の大きさ、ボビー本人の明るい性格と、そしてマクナルティーがいてくれたからなんだな、とぼんやり思いました。
ただ私としてはこちらよりもハートネットのもののほうが暗くて美しい雰囲気も好きだし、まあ、年もとったのかもしれませんが奇跡と称する偶然ももう今更信じることも出来ないし、なんといってもボビーのような性格は私にはもてないこともあり、小鳥たちが見たものの方がスキですかね。

でもアーモンドの中じゃファンタジー要素が少なめで入りやすいし、なんといっても切なく爽やかな読後感がすがすがしくて、文章も読みやすい。なんだかだいって最後は涙ぼろぼろだったし私…。
これから何か軽いもの読みたいかなあなんて人も是非読んでみてはいかがでしょうか。それでサーカスとかいきたくなるといいと思いますよ私みたく。

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